大阪オフ会
Photographed by Kinzoh and his friends in Osaka and Kyoto




通天閣
平成29年2月6日
TSUTENKAKU TOWER
 
FEBRUARY 6. 2017



 
1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会誘致において、
東京との激しい招致合戦に勝利、
パリに飛びパリ万国博の仕組みを詳細に調査して成功に導いた。
内国勧業博覧会とは、日本の明治時代に5回開かれた博覧会。
名称通り日本国内の産業発展を促進し、
魅力ある輸出品目育成を目的とした、政府主導の博覧会である。
明治時代は近代化促進のために数多くの展覧会が開かれたが、
内国勧業博覧会はその中でも代表的な博覧会である。
第一回〜三回内国勧業博覧会(東京上野)、
第四回内国勧業博覧会(京都岡崎公園)、
第五回内国勧業博覧会(大阪新世界)。
当時の大阪商業会議所会頭・土居通夫が、
この博覧会の跡地に新世界ルナパーク、
パリのエッフェル塔を真似た通天閣の建設を構想する。
土居は周囲の猛反対を押し切って、
パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せたような初代通天閣が
1912年(明治45年)7月3日にルナパークと共に建設された。
その当時東洋一の高さを誇っていた。
藤沢南岳によって命名された通天閣は、
ルナパーク開発会社である大阪土地建物の社長であった
土居通夫の名前を入れる意図が含まれているとされる。
通天閣は、ルナパークと「ロープ・ウエィ」で結ばれており、人々に親しまれていた。
塔側面に巨大ネオン広告があった時期があり、当時の広告は「ライオン歯磨」であった。
1938年(昭和13年)に吉本興業に買収された後、
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)1月16日に直下にあった映画館・大橋座の火災で
通天閣の脚部が加熱により強度不足となる。
そのため、鉄材を軍需資材として大阪府に「献納」するという名目で
同年2月13日から塔は解体され、初代通天閣は姿を消した。
なお終戦後赤錆となった残骸が明石市の浜辺で見つかっている。
現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成した。
2007年5月15日に、国の登録有形文化財となった。
公式キャラクターは「ビリケン」。大阪の観光名所として知られる。



 
 

 

 

 

 

通天閣地下
 

 

 

 

 

通天閣猿まわし劇場
 

 

 

 

人の助けを借りず、猿自分が最初から竹馬に乗る
 

逆立ちで階段を上る
 

 

幅跳び。この広い幅でも軽いものだ
 

 

初代通天閣とルネパーク(模型)
 

100年前の絶叫マシーン
 

 

 

展望台に向かうエレベーターのビリケン天井画
 

展望台で鎮座するビリケンさん
 

展望台からの眺望
 

 

あべのハルカスと天王寺公園
 

 

高層ビルに囲まれた大阪城
 

 

 

 

特別展望台。五番目の通天閣の写真の赤丸のところ。
 







   

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